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素子社長よもやまばなし

11月|2023. November

「中村久子の生涯」

中村久子の生涯

近年、気候がおかしくなっていますね。
11月に夏日があったり、その数日後には突然冬の寒さになったり。
「秋らしさ」を感じるのはなかなか難しくなっていますが、セライズの工場がある新潟の有名な神社、弥彦神社の紅葉とライトアップはおすすめです。
短い秋の美しい光景、ぜひ一度ご覧ください。ネットやテレビでもよく紹介されています。

 

先日、ある勉強会で、壮絶な人生を全うされた女性の話を聞きました。
ぜひ、ここで紹介したいと思います。

 

■中村久子の生涯

 

中村久子は、興行芸人・文筆家です。
1897(明治30)年、岐阜県高山市に生まれました。
2歳の時にしもやけがもとで突発性脱疸になり、両手両足を切断することになってしまいました。
両親は必死に育てましたが、久子7歳の時に父親が亡くなってしまいます。
その後、母あやは再婚しましたが、再婚相手が久子を部屋に閉じ込めてしまいました。
あやは、途方にくれて、久子と心中しようとさまよい歩きました。でもその時、久子の泣き声と温もりを感じて、我に返ったそうです。

 

その後、母あやは、久子を自立させるために、何でもできるように厳しくしつけようと決心しました。
そして、久子は血のにじむような努力や創意工夫を重ねて、「帯を結ぶ」「髪を結う」以外は全て自分一人でできるようになったのです。

 

当時、障がい者が自分で生活するためには、「見世物小屋」で見世物芸人として働くしかありませんでした。
久子もまた、自立するために、20歳の時に自ら見世物小屋に身を売りました。
両手足のない身で、裁縫・刺繍・編み物・短冊書きなどを芸として、「だるま娘」の看板で全国を興行することになります。
皮肉なことに、久子には何人もの男性が言い寄ってきました。「だるま娘」としてお金を稼いでくれるからです。久子は3回結婚し、子どもも2人育てました。

 

久子は常に苦悩にあえいでいました。母に対しても、いろいろな思いがありました。
でもある人に出会い、目が覚めます。その人は座古愛子さん。寝たきりの体ながら女学校の購買部で働いている人でした。
自分よりも、もっとつらい運命を背負いながら、誰一人恨むことなく、感謝の日々を送っているひとがいる――。
また、久子は1937(昭和12)年に来日したヘレン・ケラーに会見しています。
ヘレン・ケラーは久子の体をさわって両目から涙を流し、
「私より不幸な人、そして私より偉大な人」
と言ったそうです。

 

久子はその後、約20年に及んだ興行芸人生活に決別します。
そして執筆活動と講演活動を開始し、『宿命に勝つ』『無形の手と足』などの著書を上梓し、亡くなる直前まで「生かされるよろこび」を講演して全国を廻りました。
そして、久子は72歳の生涯を終えます。本人の希望で、遺体は献体され、脳、眼球、そして内臓すべてが医学のために提供されたそうです。

 

久子の人生に私が深く感じたポイントは2つです。
1. 母あやの久子への関わり。自立させるために心を鬼にしてしつけをしたこと
2. 久子は人との出会いにより「生かされている」ことに感謝の気持ちを持てるようになったこと。母への恨みが感謝へ・・・

 

中村久子が残した言葉をいくつかご紹介します。
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私が救ったものは、手足のない私の身体。この逆境こそ感謝すべき私の師でありました。わが身への侮辱こそ宝であります。
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人の命とはつくづく不思議なもの。
確かなことは、「自分で生きているのではない。生かされているのだ」ということです。
どんなところにも必ず生かされていく道がある。
すなわち人生に絶望なし。
いかなる人生にも決して絶望はないのだ。
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