先日、新潟県上越市の城下町・高田を散策し、「瞽女(ごぜ)ミュージアム高田」と「高田世界館」を見てきました。
上越市といえば、当社の工場がある市であり、たくさんの社員が住んでいる土地です。
住んでいる土地の名所には、意外と行かないものですよね。
東京に住んでいても東京タワーに行ったことがない人も、たくさんいると思います
散策中に、当社会長の知り合いの方のお店に立ち寄って、ある印刷物を頂きました。
上越市教育員会の学芸員の方が書かれたものです。
読んでみたら、高田の歴史について興味深いことが書かれていました。
そこには、「高田築城のナゾ」「高田平野の景観」「寺町の意味」「天からの送りもの」「高田の未来像」などが書かれていました。その中で「天からの送りもの」をここで共有したいと思います。
***「高田」のまちにこめた祈り***天からの送りもの
雪国高田を象徴するものとして「雁木」があげられます。母屋から張り出した庇ですが、高田が発祥と言われています。雁木は城下でも往来の多い街道筋や商家・職人等人が集う場所、家が連続するところに作られました。
雁木は特に、冬期間の歩行を確保する空間として雪国ならではの知恵の結晶ですが興味深いのは私有財産を公共に提供していることです。
雁木部分も、その下の歩道も江戸時代以来、現在に至るまで個人の所有となっているのです。いいかえれば、自分の土地を「歩道」として公に提供し、それでいて、雪や雨でも通行する人が歩きやすいようにわざわざ、上屋まで架けた施設ということができます。そして、雁木は地域内の合意があってはじめて連続するもので、いわば雪が生み出したコミュニティの遺産なのです。
また、高田藩主稲葉正道が興味深い記録を残しています。正道は、家臣団に対し雪道で人とすれ違うときの作法について「雪の中では身分に関係なく道を譲り合いなさい」という法令を定めています。高田の雪は、大名をして「郷に入っては郷に従」わざるを得ないもの、つまり士・農・工・商の身分を超えて武士といえども庶民の作法に従うべきものと映ったようです。稲葉藩政では、雪によって歴史の教科書の常識を覆す「法の下の平等」が実現しているのです。このように見てくると、雪は何より、地域コミュニティを培っただけではなく、上越独自の気質・風土・文化を育んだことがわかります。雪は現代こそ、悪しきものとして捉えられがちですが祖先の営みから学ぶのは雪のお陰で身分を越えて協力しあいより良く生活する知恵を積み重ねてこられたということだと思います。
以上、「天からの送りもの」という部分を抜粋させていただきました。
「雪博士」と呼ばれた中谷宇吉郎先生が名著『雪』の中で、
「雪は天から送られた手紙である」
と述べ、雪の素晴らしさを説かれていることから、このタイトルを付けたそうです。
私も、ついつい雪の季節になると、
「雪が多くて大変、少ない方が~」
と思ってしまいます。
でも今回、思わぬ形でこの文章に出会うことができて、改めて、高田の歴史に触れることができました。
住んでいる土地の歴史は、意外と知らないことも多いものです。
皆さんも、お住まいの土地の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。