今月のテーマは「女性初の法律家」についてです。
今年4月から始まったNHKの連続テレビ小説『虎に翼』、けっこう話題になっていますね。
私も、録画して欠かさず見るようにしています。
女性初の判事になった三淵嘉子さんがモデルになっています。
まずは、三淵さんの半生を簡単に書いていきます
三淵さんは1914(大正3)年生まれ。
この時代には珍しく進歩的な父に影響を受けて、法律を学ぶことを決意します。
明治大学が日本で初めて女性部法科を設立したことを受け、そこに入学しました。
1938(昭和13)年に司法試験に合格。1940(同15)年に女性として初めて弁護士登録をしました。
それまで弁護士資格は、男性に限定されていましたが、1933(同8)年に弁護士法が改正されて、1936(同11)年以降、女性も弁護士になれるようになりました。
ただ、弁護士法改正後も、女性が裁判官や検察官になることは許されていませんでした。
その理由としては、明治民法の規定上、女性は婚姻により夫の許可がない限り法律行為について無能力者となるので、いずれ結婚する女性に司法官のような重要な仕事は任せられないという説明がされていたようです。
現代では、考え難い理屈ですが、実際にこうした解釈がされていた事実を知っておくべきですね。
このような経緯により、女性が初めて裁判官になれるようになったのは1949(昭和24)年だそうです。
ドラマでも、主人公の「寅子」の母親は娘の縁談に奔走するのですが、本人はまったく結婚する気がありません。
そんな中「弁護士」という仕事に興味を持ち、丁度良いタイミングで明治大学が女子部を創設するというので入学をします。
しかし、一緒に入学した仲間が、どんどん退学していってしまいます。
女性には、学ぶ環境がなかなか与えられない時代だったのです。
ドラマの中にこんなセリフがあります。「同じ成績ならば、女性より男性の方を合格させる」
日本は、海外に比べて女性管理職や女性政治家がまだまだ少ないです。
男女雇用機会均等法が1986(昭和61)年に施行されて38年経っていますが、日本はまだまだ男性社会だと言われています。
でも、2023(令和5)年度版の弁護士白書によると、1990(平成2)年からの33年間を見ると、男性弁護士は約3倍増えているのに対し、女性弁護士は約12倍になっているそうです。
先人の女性たちが、今では考えられない女性蔑視を受けながらも、女性活躍の道を切り開いてくれた歴史があることを忘れてはいけないと思います。
今では男性ばかりだった職場に女性がドンドン進出しています。女性社長も増えています。
「女性社長」とわざわざ言われない時代がくるのはそんなに遠くないのでは?と思いたいですね。