2024年のノーベル平和賞を、日本の「日本原水爆被害者団体協議会」が受賞したことは、皆さんもニュースで聞いていると思います。とても嬉しいニュースでした。
名称は聞いた事がありますが、具体的にどんな協議会なのか?と思い、今月のテーマは「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)にしました。
思い起こすと私は、小学6年生の時に、初めて広島の「原爆資料館」に行きました。「人影の石」(銀行の前の階段に腰かけたまま死亡してしまった方の影が焼きついた石)を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
そして、高校生の時に社会科の先生の影響で「原爆」についていろいろ勉強する科目を選択しました。修学旅行は選択科目ごとに行き先が違っていて、私の行き先は広島でした。現地の高校生と交流したり、被爆者の話を聞いたりしてとても充実した旅行でした。また、被爆者の記録映像などショッキングではありましが、これが日本で起きたことなので目を背けてはならないと思い見ていました。
そんな、昔のことを思い出しつつ・・・。
私自身、名前しか知らなかった「被団協」を調べなくてはと思いました。
「日本原水爆被害者団体協議会の50年のあゆみ」
原爆投下から10年近く、病苦・貧困・差別に耐えながらひっそりと生きてきた被爆者たちが、本格的な運動に立ち上がったのは、1954年のビキニ水爆実験による第五福竜丸の被災をきっかけとした原水爆禁止運動の燃え上がりに勇気づけられたからだそうです。
1956年8月10日に「第二回原水爆禁止大会」の中で、被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」が結成されました。
結成宣言
「かくして私たちは、自らを救うとともに私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」
「原水爆禁止」「犠牲者に国家補償と健康管理制度」「遺家族に生活保障」等の要求はこの時に確立したものでした。
原水爆禁止とならんで、医療保障と生活の安定が被爆者にとって一番切実な要求でした。
1957年「原爆医療法」が制定。これは認定被爆者の医療費を国が負担するだけのもの
1968年「原爆特別処置法」が制定。健康管理手当など各種手当が支給されるようになったものの、国の責任は認めず、国家補償を回避するもの
また、「原爆症認定集団訴訟」では今なお、戦っている人もいるそうです。
国内外、様々な活動をしていて2026年には70周年を迎えようとしています。
残念ながら世界では、核兵器を所有している国が9か国もあります。
また、戦争地域で核兵器が使われる可能性もあります。
でも2024年のノーベル平和賞は、今後の世界に大いに影響を与えられるものであって欲しいです。また、世界で唯一、戦争で原爆を投下された国である日本に住む者として、広島・長崎の原爆資料館にはぜひ足を運びたいものですね。