2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』を見ていますか?
蔦屋重三郎という出版王の人生を描いています。江戸時代の文化と人々のつながりを描いたエンターテインメントドラマだと話題です。私も毎回録画しながら見ていて、久しぶりに大河ドラマにハマっています。
吉原の女性たちの暮らしなども描かれており、江戸時代の人々はこういう生活だったのかと学ぶことが多いです。
そして、主要な登場人物の中に「平賀源内(1728年-1780年1月24日)」がいます。
名前を聞いたことがあるという人は多いと思います。「発明家」というイメージが私にもありました。
でも、ドラマでの「最期」はとても壮絶なものでした。演じていた安田顕さんの演技は素晴らしいものでしたね。
それで、「平賀源内」のことを改めてちょっと調べてみようと思いました。
源内は13歳から、藩医のもとで本草学と儒学を学んだとあります。
24歳ごろには1年間長崎へ遊学して、オランダ語や医学、油絵を学んだそうです。
決して身分は高くないのに、なぜ長崎に遊学ができたのでしょうか?
パトロン(出資者)がいたという説があるそうです。
20代後半には、オランダ人が製作した量程器(歩いた距離を測る器具)や磁針器(方角を測る器具)を模倣したものを製作したり、日本初の物産会(薬種・物産を展示する会)を発案したりと、アイデアマンぶりを発揮。江戸で何度も物産会を開催したそうです。ドラマでもあるように、このころ幕府老中の田沼意次にも知られるようになったようです。
30代後半から40代には、産業起業的な活動も行いました。鉱山開発や石綿の発見など・・・。また、秩父開発計画にも本格的に取り組みました。たたら製鉄を用いて鉄や鋼を生産しようとしたそうです。ただ、当時の精錬技術は未熟で、計画は行き詰まってしまいました。
40代の終わりごろにはドラマでも描かれていたように、「エレキテル」で経済的にも成功した源内でしたが、やがて「インチキだ」と言われるようになります。それから生活は荒れ放題。ドラマではアヘンや大麻のようなものを吸っているような場面もありました。
そして、投獄されてしまいます。ドラマでは冤罪だったとされていますが、実際は本当に抜刀したようです。また、やはりドラマでは牢屋で何者かに毒を盛られたと描かれていましたが、実際は破傷風により獄死したそうです。
とても才能がある人だったのに、最期はとても悲しいものでした。
ほかにも源内が手掛けたものはたくさんあります。詳しく調べてみるとおもしろそうですね。