今年は、7月の初めから尋常ではない暑さですね。これからこの暑さと何か月戦うことになるのでしょう。
夏の体調管理は、
1.睡眠
2.お風呂(しっかり湯舟につかる)
3.食事(冷たいものばかりを食べない)
4.運動(汗をかくこと)
です。
さて、6月23日にテレビで沖縄の「戦没者追悼式」の中継をやっていました。
一瞬、「終戦記念日じゃないよな? 8月じゃないし・・・」と思いました。
6月23日は沖縄にとっての「慰霊の日」だったのです。
毎年やっている追悼式ですが、今年の追悼式は、小学生の男の子が読んだ詩の内容がとても素晴らしく、食い入るように見てしまいました。
そして、慰霊の日をよく知らなかったので調べてみました。
沖縄戦は、太平洋戦争末期である1945年に、日本軍と、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で行われた戦いです。
日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、連合国軍は日本本土を攻め入るための基地として沖縄諸島を攻略しようと試みました。
沖縄戦では、連合国軍は約55万人、日本軍は約10万人で圧倒的な兵力の差。
5月下旬には、日本軍は、首里城地下に置いていた司令部を捨てて南下。
残されて犠牲になった日本人は約19万人。じつに県民の4人に1人が犠牲になったと言われています。
なぜ6月23日を「慰霊の日」としているのでしょうか?
この日に、沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終わったとされているからですす。当時の日本軍司令官の牛島満中尉や、その部下が自決した日だそうです。
沖縄の人は、見捨てられたという気持ちを今でも受け継いでいるでしょう。
思い起こすと私が大学生の時、沖縄出身の学友が「本土の人」という言葉を使っていました。
「本土の人とは結婚してはいけない」とおばあちゃんに言われているとも・・・。
当時、とてもショックだったのを思い出しました。
先ほどの追悼式で小学生が朗読した詩は、「おばあちゃんの歌」。
「戦没者追悼式で朗読された平和の詩」で検索すると、全文が読めます。
この中で、私が特に身につまされた部分は、一年に一度だけ、おばあちゃんが歌う歌を紹介する部分です。
おばあちゃんは泣きながら「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー(艦砲の食い残し)」と歌うのだそうです。
この小学生は、おばあちゃんが泣きながら歌っているから、悲しい歌だということは分かっていました。それに、おばあちゃんはこの歌を歌った後に「あの戦の時に死んでおけば良かった」と言うので、彼も泣きたくなったそう。
「艦砲の食い残し」とは、沖縄戦の激しい艦砲射撃でけがをして生き残った人のことを指すと知って、彼はとても悲しくなります。
彼のおばあちゃんは、80年前の戦争で心と体に大きな傷を負いました。その傷は何十年経っても消えません。
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように、おばあちゃんから聞いた話を伝えていきたい。
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして、一生懸命生きていきたい。
彼は、このような詩を力強く朗読しました。
動画や詩全文が、ニュースサイトなどで紹介されていますので、ぜひ検索してご覧になってください。
今年は戦後80年の年です。戦争を知らない人が80歳になります。
戦争を経験された方が、どんどん少なくなっています。
戦争を知らない私たちが、どうやって戦争の恐ろしさや愚かさを伝えていけばよいのでしょうか?
世界では未だに戦争をしている国がありますね。
「日本ではないから関係ない」ということはありません。平和と言われている日本でも戦争が絶対に起こらないと言えるでしょうか?
今年は節目の戦後80年です。今一度、戦争に関するいろいろな本やテレビからでも情報を得ることで、「戦争」について深く考える一年であるべきだと改めて思いました。