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8月|2025. August

「アンパンマンの作者、やなせたかしさん」

アンパンマンの作者、やなせたかしさん

今月のテーマは「アンパンマンの作者、やなせたかしさん」です。

 

2025年前期のNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は、やなせさんの奥様が主人公です。
朝ドラが面白いので、やなせさんの生涯が書かれた本を購入しました。読んでみたら「アンパンマン」が有名になる前に、いろいろな有名な人との出会いが書かれていたのでびっくりしました。
ですので、皆さんにもお知らせしたいと思い、今回取り上げることにしました。

 

やなせさんは、5歳でお父様を亡くされて、さらにお母様が再婚したため、開業医の伯父さんの家に引き取られます。
小さいころからとても絵が上手だったようですが、とても大人しい性格でした。
伯父さんがとても寛大な人で、やなせさんが好きな道を進ませてくれて、旧制東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部総合工学科デザインコース)に進学します。大学生活はとても有意義だったようです。

 

でも、卒業後すぐに兵隊に行かなくてはならなくなります。
子どものころから大人しい性格で物静かだったため、親戚の人たちが、
「たかしちゃんは、軍隊の訓練に耐えられないだろう」
と心配したそうです。
でも、やなせさんは兵隊としてやっていくには「要領、コツ」があることに気付いて、「考えることをやめて上に従うことを受け入れる」ことに徹してなんとか、順応できるようになっていったそうです。
幹部候補生の試験を受けて「軍曹」までなることができました。

 

運が良いことに一度も人に銃を向けることなく終戦を迎えました。
無事に家に帰ってこられたのですが、しばらくの間むなしさでいっぱいでした。
「あの戦争はなんだったのか?」
5年も考えることをやめていたので、考えようとしても混乱してしまう日々だったのです。

 

その後、高知新聞社に就職できて月刊誌の編集をすることになり、そこで挿絵や漫画などの仕事もやっていくうちに、だんだん自分を取り戻していったようです。
この職場で会った後の奥さまの「のぶさん」はとても活発な人で、やなせさんとは正反対の人でした。のぶさんが東京に行くのを追いかけて、やなせさんも東京に出ます。

 

そして日本広告展に入選したことで日本橋三越の宣伝部に入社できることになりました。そこで、デパートのショウウィンドウの装飾や、売り場の看板、演劇のポスター制作などを手掛けていました。
なかでも私がびっくりしたのが、猪熊弦一郎がデザインした三越の包装紙に書かれている「mitsukoshi」のロゴは、やなせさんによるレタリングだということです。
当時、この包装紙がモダンだったので評判を呼んで、ほかのデパートも真似したとのことです。
このように三越で仕事をしながら、副業の漫画の仕事がどんどん増えていったようです。

 

そして、思い切って三越を辞めて独立しましたが、漫画界は劇画が主流になり、やなせさんの漫画家としての生活は思うようになりません。そんな頃・・・
「手のひらを太陽に」を作詞しました。
きっかけは、永六輔さんからミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を頼まれたこと。これをきっかけに、舞台美術の仕事が次々に舞い込みました。また、この時に作曲家のいずみたくさんと知り合い、「手のひらを太陽に」を作詞。NHKの「みんなのうた」で有名になりました。
また、NHK「まんが学校」という番組に出演したときは、若き立川談志と出会いました。
まさに「天才」と次々に出会ったのです。

 

そしてアンパンマンは、やなせさんが54歳の時に初めて絵本になりました。

 

砂漠で疲れ果てた旅人に自分の顔を食べさせるアンパンマン。
旅人は元気になり、顔が半分になったアンパンマンは飛び去って行く。
アンパンマンの向かった先は、パン焼き名人ジャムおじさんのパン工場。
そこで顔を作り直してもらい、ひもじい人を助けるためにまた飛び立つ。

 

この絵本は当初、世の大人たちに評判が悪いものでした。「顔を食べさせる」「顔が半分なくなる」という描写が、大人には残酷に見えたからです。
しかしこの描写は、やなせさんが戦後ずっと悩み続けてきた「本当の正義とは?」という問いに対する答えだったのです。

 

「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない。
もしひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、
それはおなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」

 

終戦直後に悩みぬいて出した自分なりの答えをアンパンマンに託したのでしょう。
当時の大人の評判は悪かったですが、子どもの人気は今でも不動です。ほとんどのお子さんは必ず「アンパンマンが大好き」になる時期がありますよね。その子どもたちが大人になり、アンパンマンを残酷だという人はもういません。

 

今回読んだ本で、「アンパンマン」にはやなせさんの戦争体験が大きく関係していることを学ぶことができました。

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