7月のコラムで沖縄の「慰霊の日」のことを書きましたが、今月も「沖縄」をテーマにしたいと思います。
というのも、先日『宝島』という映画を見て衝撃を受けたためです。
この映画では、アメリカの統治下にあった戦後の沖縄で起きた、さまざまな理不尽なことが描かれています。
私も、映画を見て初めて知ることばかりでした。
あらためて沖縄の戦後の苦境を目の当たりにし、これは、日本人として知らないといけないことだと思い、今回のテーマにしました。
映画の原作は、戦後沖縄を舞台に史実の陰に埋もれた真実に光を当てた、真藤順丈さんによる同名の小説。本作で160回直木賞を受賞しています。
映画のクランクインは2021年の予定でしたが、コロナ禍により延期され、戦後80年の今年2025年にようやく公開にこぎつけました。
映画の冒頭で、女性の変死体が発見されます。
しかし、琉球警察が捜査しようとすると、アメリカの憲兵が来て捜査ができなくなってしまう・・・。
米兵が、事故・事件を起こしても逮捕できない理不尽さが描かれていました。
沖縄は1972年に日本に返還されましたが、その背景には、占領下で起きたいろいろな事件をきっかけに、沖縄の人たちの返還運動が活発になったことがあります。
そのきっかけになった3つの事件について、調べました。
(1) 由美子ちゃん事件 1955年9月3日に嘉手納村(現嘉手納町)で発生
由美子ちゃんは映画を見に行ったあと行方不明になり、数日後に海岸近くの原野で遺体で発見されました。
遺体は暴行を受けた状態だったので大きな社会問題になりました。
犯人はアメリカ軍の軍曹、アイザック・ジャクソン・ハート。
アメリカでの軍法会議で死刑判決を受けましたが、その後減刑され、最後には仮釈放されたそうです。この事件は、米国人の犯罪に対する沖縄住民の怒りを象徴する出来事になりました。
(2) 宮森小学校 米軍機墜落事件 1959年6月30日石川市(現うるま市)で発生
米軍機が操縦不能となり、パイロットは空中で脱出。
弁軍機は民家35棟をなぎ倒し、宮森小学校の校舎に直撃。
死者17人(うち小学生11人)、重軽傷者210人(うち小学生156人)を出す大惨事となりました。この様子は、映画でも出てきます。
(3) コザ暴動 1970年12月20日発生
暴動の発端は、米軍人が沖縄市民をはねた交通事故。
付近の歓楽街から駆けつけた人たちが、事故処理中の米憲兵を取り囲んで騒然とする中、ヒートアップする群衆に米憲兵が威嚇発砲しました。
しかしこれが逆効果となり、怒りを増幅させた人たちは次々と米軍関係の車を横転させ、火を放った。
最終的には5000人の群衆が詰めかけ、約80台の車両を焼き払いました。
映画では、このシーンは特に迫力があり、圧倒されました。
そして、1972年に沖縄が返還されました。米軍基地はそのままで・・・。
米軍人や軍属による犯罪は60年代半ばには年間約1000件も起きていました。
しかし、琉球警察の捜査権には限界があり、米軍法会議で加害者が無罪になったり、アメリカへ帰ったまま未解決になったりというケースも少なくありませんでした。
この理不尽に対する不満が爆発したのが、「コザ暴動」だったのです。
私には、沖縄というと忘れられないことがあります。
大学の同じ年代に沖縄出身の子が何人かいました。その子たちは、私たちのことを「本土の人」と呼んでいたのです。
そして、ある女の友達は、
「本土の人とは結婚してはいけないと親から言われている」
と言っていました。
それを聞いてとてもショックだったことを覚えています。
でも、この映画で描かれていることからも分かるとおり、沖縄の人がいかに「日本」から見放され、切り離され、区別されてきたことか。
「本土」で育った私には、とても衝撃的でした。
私たちは、沖縄のことを何も知らないのだと・・・。
ぜひ、多くの人にこの映画を見てもらいたいし、上に挙げた事件を本やインターネットで調べてみてもらいたいです。身につまされる内容がたくさん出てきます
同じ日本に住む者として、歴史を学ぶことは大切ですね。






